Nokiaが3年で地に堕ちた理由(3) ~グローバルカンパニー~

February 10th, 2011

たとえ、山ほどの人材を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい

前の二つのエントリーにも共通して言えることだが、とにかくNokiaには無駄が多いのだ。そしてその無駄を無駄にして終わっているのだ。このエントリーも一言で言えば無駄に対する指摘なのだが、その対策が異なる。

Nokiaは10万人を越える社員を抱え、そのサイトは世界各地に広がっている。まるで同じ部屋にいるかのようにビデオ会議ができるシステムや、何百人も同時に参加できるVOIPカンファレンスシステムなどが整備され、会議といえばオンラインが当たり前だ。しかし、11日の発表はオンサイトのみで行われるという異例の通達がでており、社員の間でも様々な憶測を呼んでいる。

それは置いておいて、とにかくこのオンライン会議が毎日ある。理由はプロジェクトが世界中に分散しているからだ。正確に言うとより細かいレベルで担当者が世界中に分散しているのだ。例えばプロジェクトマネージャーとアーキテクチャのデザイナーとサーバーサイドのプログラマーとクライアントサイドのプログラマーとテスターがそれぞれ別のタイムゾーンで働いていたりする。ちなみに任天堂も世界中で製品を売るが、開発は99%京都だ。

入社当初は「さすがグローバルでモバイルな会社だ、高度にシステム化された上流工程とエンジニアリング手法が確立されているに違いない」と任天堂の閉塞感から開放された反動もあって大きな期待を寄せたのだが、やはりこれは正常に機能していなかった。しかし、その原因は組織構造や仕組みではなく結局「人」に帰結するというのが私の結論だ。

分散して開発を行う場合、各々が次の認識を共有しなければならない

  • プロジェクト全体に対する責任感とプロ意識
  • 成果の恩恵を受けるターゲットに期待される効果
  • 関連する他のプロジェクトの把握と想定されるリスク

これを実現する方法を一言で言えば「思いやり」に尽きる。

例えば、日本の企業の場合(少なくとも任天堂では)、他部署にメールを送るときにはまるで社外とやり取りでもするかのごとく気を遣う。相手のリソースや前提知識、状況を無視した一方的な依頼はご法度だ。逆に、他部署から個人的に依頼が来たとしても、引き受けることによる自部署への影響を検討せずに独断することは許されない。これを侵すと計画に制御できないノイズが混じることになる。また、部署間に限らずに思いやりに欠けたメールは、冗長なやり取りや誤解、受け手における無用な調査などを引き起こす原因になる。

自分の行動がもたらす影響を、一緒に働く同僚について思いやれるのか、プロジェクトまで思いやれるのか、会社全体か、あるいはユーザーまで意識して仕事が出来るのか。この思いやりこそがプロフェッショナリズムに直結するのだ。

日本の新入社員が始めに身につけるであろう最低限の常識がNokiaの(少なくとも私の関わった)グローバルなプロジェクトには存在しなかった。その素地の上で展開されるグローバルなコミュニケーションはまるでクリティカルチェーンで各地を結んだようなものなのだ。

少なくとも私がこの三年で目にしてきたプロジェクトの多くは発散し、消えて行った。私は新しい仕事が舞い込んでくる度に、そのプロジェクトの正当性に対して意見しなければならなくなった。それでも強行される場合は、いずれそのプロジェクトがキャンセルされるであろうリスクを考慮した上でリソースをアロケートするという、まるでお互いを危険視し会う体制に収束していった。全くお粗末な話である。

Leave a Reply

*